スペイン旅行 2日目 サグラダ・ファミリア、タラゴナ水道橋

二日目(2017年1月17日)昼食(シーフードパエリア)後、あの教会に向かいました。🚌

バルセロナのサグラダ・ファミリア教会(聖家族贖罪教会:信者の寄付により建設する教会)は、年間観光客約300万人と言われスペイン旅行なら必ず訪れる人気の世界遺産。

天才建築家ガウディが設計・建築に生涯をかけた壮大なスケールのこの教会は、着工から130年以上経った今も建設中で、未完の世界遺産と言われていますね。技術の進歩や観光収入が増えたことによって工期は半分ほどに短縮され、完成はガウディ没後100年に当たる2026年に予定されていますが、あくまでも予定です。

もともとは、民間カトリック団体「サン・ホセ協会」が、貧しい人々のために聖家族に捧げる教会として建設を計画し、1882年に建築家フランシスコ・ビリャールが無償で設計を引き受け着工したが、意見の対立から翌年に辞任。その後を引き継ぎ2代目建築家に任命されたのが、当時はまだ無名だったアントニ・ガウディだったそうです。

また、この巨大な教会の建設費はどこから出ているのか、気になるところです、これは人々からの寄付(浄財)や観光収入(入場料)で賄われているそうです。

(世界遺産の裏側)建設当初から様々な問題にぶつかってきたそうです...資金不足による工事中断、内戦による大打撃、建設中止を求める大規模な署名運動、工事に従事する人間の表現スタイル相違の問題、聖堂直下を通過予定の国営高速鉄道のトンネル工事をめぐる大きな論争...。知らない人がいないほど有名な建造物でありながら、これほど次々とトラブルに見舞われていたとは...。



「生誕のファサード」* * * * * * * * * * * * * * *
4本の鐘塔が見える東側は「生誕のファサード」であり、左側の白い建物は聖堂になっています。 下の写真の反対側(西側)は、「受難のファサード」という位置関係です。

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「生誕のファサード」はガウディが生前に造りあげたキリスト誕生の喜びを緻密な彫刻で表わしています。 例えば、マリアの受胎告知に始まり、イエス・キリストが誕生し、成長していくまでの各エピソードが彫刻によって表されています。

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赤矢印の6体の彫刻は、サグラダファミリアの主任彫刻家を務める日本人彫刻家の外尾悦郎氏の作品とのことです。外尾氏は「ガウディが何を考え、何を見ていたか」というガウディの建築思想を最も重んじて彫刻に取組んでいるそうです。

サグラダ・ファミリア聖堂にて芸術工房監督の外尾悦郎氏が講演した「ガウディが見ていた理想の社会」をYouTubで見ることができます。

入場の人々の行列ができています↓
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ガウディ広場側から見ても大きさがわかります
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「聖堂内部」

「生誕のファサード」の入口である「慈愛の門の扉」から内部に入リましたが、この「慈愛の門の扉」もまた、日本人彫刻家の外尾悦郎氏の作成したものだそうです。

聖堂内部は、樹木をモチーフにした大理石の柱がたくさん立ち並び、ステンドグラスの光によって照らされ、とても神秘的な空間になっていて誰もが天井を見上げていました。

         



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大理石の柱は上部が枝分かれしており、天井(クーポラ)の重みを分散して支えています。

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天井のデザインは、殉教のシンボルであるシュロの葉をイメージしています。

柱上部の節目には、巨大なブローチの様なものが埋め込まれていて、生き物の絵と文字が描かれています。これは四つの福音書を書いた4人のエヴァンゲリスト(キリスト教の伝道者)の印です。赤はマルコで獅子、緑はルカで牛、青はヨハネで鷲、黄はマタイで天使がそれぞれ描かれています。

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サグラダファミリアの地下礼拝堂には、ガウディの遺骨が埋葬されているそうです。





「受難のファサード」* * * * * * * * * * * * * * *

一方、「生誕のファサード」の反対側に位置する「受難のファサード」は、ガイディ没後にカタルーニャ州出身の彫刻家のジョゼップ・マリア・スビラックスが手掛けたものです。生誕のファサードは柔らかい曲線が多いデザインでしたが、受難のファサードは硬い直線的なデザインとなっています。生誕のファサードには装飾がびっしりと施されていましたが、こちらには装飾が一切なく対照的で簡素な雰囲気です。

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生誕のファサードは、彫刻のテーマも対照的で、キリストの誕生という喜びを表現していたのに対し、受難のファサードは、キリストが受けた苦難という悲しみを表現しています。彫刻は「最後の晩餐」から「イエスの埋葬」までのエピソードになっており、キリストの受難と死が、一切装飾のないシンプルな現代彫刻によって表されています。 そのシンプルの理由ですが、ガイディの後を引き継ぎ受難のファサードを担当しジョゼップ・マリア・スビラックスの彫刻スタイルは、ガウディの建築思想を踏襲しなかった思想の相違、考え方に違いがあった様です。(日本人彫刻家の外尾悦郎氏は、誕生のファサードを担当)



「受難のファサード」の出口から退出して見上げると、建設途中の光景が目に飛び込んできて、何か建設(工事)物が落ちてきそうで迫力がありました。P1010502_1.jpg






現在あるのは、東側の「生誕のファサード」と西側の「受難のファサード」。それぞれが4本の塔からできているので、計8本の塔(茶色の塔)があるわけですが、近代技術を利用し3DプリンターやCNC(コンピューター数値制御)の石材加工機の活用のおかげで、これが2026年完成予定?のその時には、下の完成予想写真の様に、なんと計18本の塔からなる建物になる予定です。

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また、現在あるファサードの塔の高さが107mであるのに対し、完成時に建物の中央にそびえることになる「イエスの塔」の高さは170mなる予定とのことです。


完成時の公式予想動画→https://www.youtube.com/watch?v=RcDmloG3tXU



アントニオ・ガウディの生涯

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ガウディの両親は共に、銅板を加工して鍋や釜を作る銅細工職人で、その三男として1852年、バルセロナが位置するカルターニャ地方のタラゴナに生まれた。銅細工職人の家系であり、これが彼の芸術的センスに大きく影響したとされます。(上の写真は26歳時)
小さい頃から動植物などをよく観察するような、好奇心の強い子供だったとか。
6歳の時にリウマチにかかったことがあるなど、あまり身体が強くなく、ジッと観察眼を育んだのかもしれません。

20歳を過ぎた頃、ガウディは建築学校に入りました。経済的に余裕がなく、勉強しながら設計事務所で働いていたそうです。苦労の甲斐あって、26歳で建築士の資格を取ったガウディは、早速オリジナルの仕事をもらいます。パリ万博(1878年)に出展するお店のショーケースをデザインすることでした。このときの作品が「エウゼビ・グエイ伯爵」という大富豪の目に留まり、彼は以降ガウディのパトロンとして仕事の依頼と経済支援をしてくれるようになります。

サグラダ・ファミリアの建設を受けた初代の建築家は、後に依頼主のカトリック団体と大ゲンカし、辞めてしまっていたのです。 そしてパリ万博から5年後。ガウディに、いよいよサグラダ・ファミリアの建築家という大仕事がまわってきました。以降この教会が彼のライフワークになり、そのかたわらで他の屋敷や公園などの建築や、家具のデザインもこなしていました。

ガウディは後半生を熱心なカトリック教徒として過ごしました。 1914年以降、彼は宗教関連以外の依頼を断り、サグラダ・ファミリアの建設に全精力を注ぎました。しかし、親族や友人の相次ぐ死によるガウディの仕事の停滞とバルセロナ市が財政危機に見舞われたことによってサグラダ・ファミリアの建設は進まず、同時に進めていたコロニア・グエル教会の建設工事は未完のまま中止されてしまう。さらに1918年、グエル公園建設のパトロンである「エウゼビ・グエイ伯爵」が死去してしまったのです。

この頃の不幸の連続がガウディを変えたと言われています。彼は取材を受けたり写真を撮られたりするのを嫌うようになり、サグラダ・ファミリアの作業に集中するようになります。

1926年6月7日、ガウディはミサに向かう途中、この日眼鏡を家に忘れた彼は段差につまずき転倒、そこを通った路面電車に轢(ひ)かれてしまいました。 晩年、身なりに気をつかわなかったため、浮浪者と間違われて手当てが遅れ、事故の3日後に73歳で息を引き取ったとのことで哀れな晩年でかわいそうです。(一部ネット引用)


ガウディの建築設計手法

彼の建築は曲線と細部の装飾を多用した、生物的な建築を得意とし、その独創的なデザインは多くの建築家や芸術家に影響を与えました。その設計手法は独自の構造力学的合理性と物語性に満ちた装飾の二つの側面より成立する。装飾は形式的なものに留まらず、植物・動物・怪物・人間などをリアルに表現しました。「美しい形は構造的に安定している。構造は自然から学ばなければならない」と、ガウディは自然の中に最高の形があると信じていた。その背景には幼い頃、バルセロナ郊外の村で過ごし、道端の草花や小さな生き物たちと触れ合った体験から来ています。

ガウディの自然への賛美が最も顕著に表れた作品が、コロニアル・グエル教会地下聖堂のガウディ設計部分である。傾斜した柱や壁、荒削りの石、更に光と影の目くるめく色彩が作り出す洞窟の様な空間になっている。 この柱と壁の傾斜を設計するのに数字や方程式を一切使わず、ガウディは10年の歳月をかけて実験をした。その実験装置が「逆さ吊り模型」で紐と重りだけとなっている。網状の糸に重りを数個取り付け、その網の描く形態を「上下反転」したものが、垂直加重に対する自然で丈夫な構造形態だとガウディは考えた。建設中に建物が崩れるのではないかと疑う職人達に対して、自ら足場を取り除き、構造の安全を証明した(これは力学的に全くの正解であった。まさしく力学的に安定である為、今日広く使われているカテリーナ曲線そのものである)。

重りを無視して、紐の部分を上下反転した形態が丈夫な構造と考えたP1010508.JPG

ガウディは、設計段階で模型を重要視し、設計図をあまり描かなかった。設計図は役所に届ける必要最小限のものを描いたのみである。彼の模型や設計図といった資料はスペイン内戦で多くが焼失したが、焼失を免れた数少ない資料を手がかりに、現在のサグラダ・ファミリアの工事は進められている。(ネット引用させていただきました)





タラゴナ水道橋

ツアーバスは、バルセロナを後にして、タラゴナに向かう。(バス約1時間30分、約100km)

タラゴナはバルセロナの南約100kmに位置する地中海沿いの町。古代ローマ時代は「タラコTarraco」と呼ばれ、イベリア半島最大の都市として 君臨していました。
今でも町のあちこちにローマ時代の遺跡が残り、それらは「タラコの考古遺跡群」として2000年にユネスコの世界遺産に登録されていま す。

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ローマ帝国初代皇帝のアウグストゥス支配下の1世紀の頃、古代都市タラゴナに水を持ち込むために作られたこの水道橋は、タラゴナの郊外の山の中に築かれました。

理由は解かりませんが、別名「悪魔の橋」の異名を持ち現在残っている部分は、長さ217メートル、高さ27メートル、幅約2メートル。2段に分かれていて、上段のアーチは25、下段には11 のアーチがあります。2000年前にセメントなど一切使わずに造られた橋が崩れることなく残っています。 実は、いくつもの伝説が残ってて、悪魔が魂と引き換えにこの橋を作ったという説が何種類かあると言われています。

ローマ人たちの持っていた建築技術の高さに 驚かされます。ちなみに、この水道橋はセゴビアの水道橋に次いで、スペインで2番目の規模を誇り、なんと橋の上の水路を歩くことができます。上の写真にも3人歩いているのですが小さいので分からないですね。


バスは、二日目の宿泊ホテルがあるバレンシアに向けて出発します。(バス約3時間45分、約265Km)

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この記事へのコメント

  • yoppy702

    (なるほど)
    (ナイス) (ナイス)
    「気持玉」代わりの足跡ですので、コメ返は不要です。
    2019年08月31日 21:29
  • ろこ

     ナイス 
    気持ち玉代わりです
    コメ返はお気になさらないでくださいね。
    2019年09月02日 12:16
  • buono

    yoppy702さん
    コメントありがとうございます。
    2019年09月04日 09:49
  • buono

    ろこさん
    コメントありがとうございます。
    2019年09月04日 09:50